28歳で退職して開業するまで
28歳になり、改めて独立を考え始める
25歳で、中国深センで”大吉語学学院”を立ち上げてすぐにコロナに直面。
その後、すぐに日本へ帰国した。
中国でビジネスパートナーと語学スクールを立ち上げてすぐに、コロナに直面したため、中国政府からすべてのお店は閉鎖するように通達があり、人々も外出禁止令で
人が一気に町からいなくなった。
日本にいる家族からも心配され、開業して数か月しないうちに日本へ半強制帰国をせざるを得ない状況になった。
少人数クラスだが、日本人のビジネスパートナーと二人で中国の東莞という都市に立ち上げた日本語学校は、”美団”という日本のホットペッパーににたようなアプリで、その地区でランキングナンバー1になった。
強みとして近隣の日本語学校は、中国人が教えている学校のみしかなく日本人が日本語を教える学校としてランキング1位になることができた。
少人数クラスだが、2人で複数のクラスをもてるくらいになった。
立上げ早々順調の滑り出しに思えた矢先のコロナだったので、ショックが隠せなかった。
もうだめだ。。
せっかく物件を何件もさがし都心の駅ちかくで借りることができた部屋も封鎖せざるを得なくなった。
2021年12月に日本へ帰国
日本へ帰ろう。
日本へもどり暫くしたらすぐまた中国へ戻って日本語学校を再開するんだ。
日本へ戻り1か月、2か月と時間がすぎ一向に世界はよくならなかった。
むしろ日本も中国で封鎖になって直後帰国したため、日常生活をしていた日本も緊急事態宣言で皆が家へこもらざるを得ない状況になった。
既に申し込んでくれていた生徒さんはお金を頂いているため、ZOOMを使ってオンライン授業に切り替えて日本語を教え続けた。
ただその収入だけでは全然やっていけなかった。
中国へ戻れるのも長引きそうだし、一旦本格的な語学スクールである”ベルリッツ”でアルバイトを申し込み働くことになった。
自分の語学学校である大吉語学学院でも使えることがないか、身をもって体験することにした。
各国の先生、受付から、システムまですべてが整っていた。
レッスンの予約方法から、受付業務、電話対応、10個くらいある部屋と先生と生徒を調整したりする業務をPCのシステムを使って行った。
目指すは、こういう語学スクールを作るんだと思った。
そうこうして働いているうちに半年以上がすぎた。
中国へすぐに戻れないことを悟る
そろそろ中国へ戻れるんじゃないかという漠然とした気持ちと、アルバイトとして働いている自分の目的は何だったのか少しずつわからなくなってきた。
周りの友人とも少しずつ外出も緩和され遊びにいく機会が増えてきた。
皆正社員で毎日必死に働いている、夏頃だったか、友人とあそんでいるときにボーナスが100万近く入っているといっているのをきいて
自分はアルバイトで月の手取りが20万円くらい、週5で8時間働いて20万と比べて周りはボーナスでがっつりお金をもらっていた。
だんだんとむなしくなってくるのを感じたのと焦りを感じ始めた。このままじゃだめだ。
何かをかえなくては、そろそろ日本の社会も緩和されてきたので中国へもどれるんじゃないかと思い、半年くらい続けたアルバイトを辞めた。
ただまだやはり中国へ戻れなかった。
ビザの取得が必要になった。
中国もまだ完全に普段の生活に戻ったわけでもなかった。
アルバイトをしている自分が嫌になり辞めた。
目的を見失っている気がした。
中国へ戻りまた語学学校を再開するんだという目的を、失っている気がした。
中国への残った日本人のビジネスパートナーは、いつ戻ってくるのかと聞いてくることが多くなり、自分も必ず落ち着いたら中国へ帰ると言ったし、実際に戻りたいと思っていた。
ベルリッツのバイトを辞めて、Q10というECサイトへの商品掲載を営業するテレアポ業務をたまたま見つけた。
日本で語学学校でアルバイト→完全在宅でテレアポ
完全に自宅で勤務できて、時間も自由、当日に何時から何時まで働きますといえるような仕事であった。
その合間にブログを書いたり、千葉に両親がすんでいたので気分転換に千葉へドライブがてら行ったりしていた。
会社員だった友人も退職を機に一緒にテレアポをしだした。
収入をかせぐための臨時の仕事であったが、時間も自由だしかなり心理的には気が緩い職場であった。
稼いでいる人は月収100万もいくとのことであった。
自分は時間の自由を優先したので、週に2,3回がっつり働いて休むという、ほんとうに緩い感じで仕事をしており、収入は10万円ほどであった。
SEO方面でかせいでいる大学の友人は個人事業主で、会社員をやめた友人と3人で会う機会がおおくなった。
みな会社員は平日の時間があわないのと、やはり1人で家でこもってテレアポをしているのは飽きてくるし、時間も自由な分外に出たくなった。
3人で、上野のBaisis Pointというドロップインできるコワーキングスペースの個室を予約して3人ですごしたりもした。
テレアポをしつつ、3人で気軽にすごした。
心理的にはかなりゆるかったし、このままではいけないなと内心おもっていた。
中国で法人化していた日本語学校の閉鎖を決意
それから時がすぎ、一向に中国へ戻れる気配がせず、日本語スクールを一緒にたちあげた友人も家賃の支払いにも終われ、撤退を決断した。
法人化して、自分が会社の代表という肩書であったが、すべてビジネスパートナーと親族に任せて事務所を撤退し法人もなくす決断をした。
後処理は全部やってくれた。
家賃の支払いから撤去費用までほぼ会社のお金はなかった。
そっからビジネスパートナーとは連絡もうすくなり、連絡が途絶えた。
当たりまえである、中国へ戻ると信じて待ってくれており、撤退の処理まで全部やってくれたからだ。せっかく良い関係を築けたのに関係をぶちこわしてしまった。
そこから会社員をやめた友人もテレアポをやっていたが、週5毎日働くわけでもなく怠惰に仕事をしており、世間体も悪いので会社員に戻ることを決めて転職活動をはじめた。
自分もそれに感化されて転職活動をはじめた。
日本の会社でビジネススキルを学ぼうと決意
日本でしっかり働こう。
新卒で入った会社がメーカーの営業職で嫌になったのと、ずっと起業をしたい、独立したいという思いが抑えきれず、新卒で入社した会社を10か月で退職して、中国深センへ留学したので、社会人経験も浅かった。
中国へ1,2年住んで中途半端な中国語の勉強をして話せるようになりたいとも思っており、決断できた。
どんな分野で起業したいのか、明確ではなかったのに。
日本に滞在する期間が長くなりそうであったので、
しっかり日本の会社で3年勤め社会人の基礎スキルを身につけよう思った。
中国深センで少し働いていたEC系の職場に就職したかった。
新卒で10か月で辞めたにもかかわらず、20代前半で中国深センで留学しつつ起業した経歴がよかったのか、2年くらい社会人のブランクのある自分であったが数社応募して3社合格させていただけた。
社会人として働くことの大変さを痛感
また起業もできたし、社会でしっかりやっていけるという意味不明な自信があった。
会社員に入り、優秀で仕事ができる上司や先輩、社会人ってこんなにきついのに、優秀な人がたくさんいるのだと思い知らされた。
全然ペーペーで社会を何もしらないひよっこであった。
会社からは、中国の経験を活かして活躍してほしいとのことでEC系で採用されたが、なぜか営業職で採用していただけることになった。
また営業だけど、3年しっかり社会人の基礎をみにつけてがんばろうと思った。
家庭用品の問屋営業職であった。
専門店やネットストアに対して商品を卸している家庭用品の専門商社である。
会社員には戻りたくないと思っていたけど、しっかり社会人の基礎をみにつけようと思った。
毎日自由な時間で、家にいる時間が多かったけど、毎日9時前に出社して夜まで働く毎日に変わった。
最初の部署は専門店に対して商品を仕入れてバイヤーに対して営業をする部署であった。
その次はAmazonに対して商品を卸している部署で1年半働いた。
ここである程度エクセルの基礎スキル含めて社会人としての振る舞い方や担当として数字の分析の仕方等鍛えられたと思う。
また元の部署に異動して、専門店に対して商品を卸す部署に配属になった。
あっというまに月日が流れ2年半が過ぎた。
毎朝嫌でも出社して、会社員として全然使えない自分に気づき始めた。
年齢も20代後半に差し掛かり、社歴は関係なく年齢で見られるようになった。
20代後半なんだから、これくらいできて当たりまえみたいな空気感が少しずつ嫌になってきた。
ただ会社の中では上司も先輩も親身になり一生懸命営業として育ててくれていると感じていたし、会社は嫌いではない。
3年近く直属の上司に指導いただきしっかり、会社員として組織の中の営業として、やっていけなきゃと思うこともあった。
この会社に入社すると同時くらいにお付き合いした彼女と今一緒に暮らしている。
会社員になり、しばらくして同棲生活をいて今も一緒に住んでいる。
彼女も独立したい、フリーランスで時間の自由と組織で誰からに指示されるのが嫌で会社員を辞めた。
友人の紹介で旅行系のSNS運用代行を個人事業主として請け負って完全在宅で仕事をしている。
実際に時間と場所の制限はない生活スタイルに先になっていた。
30歳手前で改めて独立開業することを決意
自分も、また徐々に語学学校を再開して、日本で開業して独立して時間と場所の自由と、人生を自分でコントールできる状態を手に入れたいと思うようになってきた。
半年近く悩み、退職を決意した。
やはり、20代後半になり、20代最後に日本語語学スクールに挑戦をしたいと思うようになった。
毎朝行きたくない時も会社に半強制でいかなければならない生活スタイルと、組織の中での立ち振る舞い、得意先との立ち振る舞いに疲れてきた。
また業界や組織の中でのルールもある。
会社員で長く勤めている人はどんな強靭なメンタルでやっているのだろうと思う。。
やはり自分の好きな裁量権で自由に選択できる生き方が良いと本気で思った。
また会社員という縛りがある中でたしかに毎月会社が倒産しない以外安定的に収入が入ってくる。
朝起きて、9時に出社、遅いときは21時位に退社。
役職があがればあがるほど、責任も大きく負担も大きくなっているを感じた。
またうわやくとの立ち振る舞い方など、自由と言いつつも社会人としてしっかり見られている点もあるのも窮屈さを感じた。
日本の会社員としての動き方、組織の一員としての立ち振る舞い方はまだまだ新参者だけど、感じるものがあった。
日に日に中国でいたときの自由に動いていた時のことと、友人とカフェにこもり、どんな事業をやろうかはなしあっていたときは
わくわくしていたことを思い出した。
このまま中途半端な気持ちで良い上司と先輩が真摯に成長させてくれようとしているのに、自分のモチベーションは下がる一方であった。
毎朝、明日も出勤しなければならない生活スタイル、会社の中では上司、先輩は優しく一生懸命教えてくれているのに、なにが嫌なのか、毎日終わる時間が不規則で、時間の自由、選択の自由が限られている状態が嫌なのか。。
やりたいことはなんだろうと思いはじめていた。
自分のなりたい生き方、過ごし方は、毎朝いやいや出勤してかえってご飯食べて寝る事なのか、周りも一生懸命生きて、働いているからこそ収入があるこそ、自由があるのだと言い聞かせた。
土日もしっかり休めるし何が不満なのか。
仕事の電話も一切こなし。世間からしたらかなりホワイト企業である。
そんな中で、会社からは思考が浅いと周りの普通に比べて28歳で中途採用で、普通のレベルに達していないと言われることもあった。
たしかに、考えるようにはしているが、結論が非常に浅いとも思う。
改善しなければいけないこともわかっている。
なぜ浅いのか、考えることを避けてきているからか、営業でも成績が出ない。
そんな毎日を送っていた。
直属の上司は一生懸命教えてくれている、営業として売上をつくるんだという気持ちが足りていない、、、売らなきゃという気持ちはあるけれど、
周りからしたらなにをやっているんだという目で見られているように感じた。
段々といづらくなってきた。
残業もしているけれど、営業として売上に直結する動きが一切取れていない。
ボーナスをもらったらやめよう。
そう思ってからずるずると時間だけが過ぎ去っていった。
自分って何がしたいんだろう。なんで日本の会社に就職したんだっけと考え始めた。
コロナがおちついたらまた中国で挑戦しよう。
そう思っていたが、日々日本の会社で過ごしているうちに自分より優秀な先輩、上司、仕事ができる人を多く目の当たりにして
これが社会かと思い知らされた。
新卒同様のペーペーの新人が、中途入社で入社させていただき、社会人経験も10か月しかない自分が思い知らされた現実であった。
ただやりたいこと、独立して起業して稼ぐんだという気持ちは消えていない。
日本語スクールが中途半端で終わってしまったコロナ時期を思い出し、あっそうだ自分は独立して自分で事業を興して暮らしていきたいんだと思いだした。
日々毎日通勤ラッシュの電車に乗って通勤して帰宅してご飯食べて、寝る毎日、金曜と土日の休みを楽しみにして生活する生活スタイルを望んでいるだっけと。
徐々にまた独立、起業に挑戦したいという気持ちが膨らんできた。
定年まで会社員として朝行きたくない、日曜日の夜から憂鬱になり、月曜日出社したくないという気持ちのまま何年も過ごすことに違和感を感じた。
もちろん努力や忍耐が必要な時はある、だけど、自分の進みたい方向性とは違う未來に向かってることに対して努力や忍耐とかいう気持ちがどうしても湧き起らなかった。
中国深センにいるときは、今できることは何かといことで「日本語を教える事」日本人としての強みを中国の現地で活かすのはそれがベストだと思った。
そして必要な物件探し、授業の料金設定、日本語レッスンコースの設定をビジネスパートナーとカフェや、パートナーの自宅で打ち合わせを重ねた。
すごい楽しかった。やっと夢だった自分の事業がもてる、遅くまで打ちあわせと事業を立ち上げるまでの行動すべてが楽しかった。
やっぱり、やりたいことやっているときは時間が過ぎるのがあっという間で、苦だと感じない。
中国深センで立上げた日本語スクールのリベンジをするために、再度日本でチャンレンジをする。
28歳の今、日本で正社員として営業を3年弱勤めた会社を退職して、オンライン日本語スクールを改めて立上げる。
Xでまた最近の動向の発信をしていこうと思う。